2010年04月05日

闇のない世界

自分が欲する成功を出来るだけ具体的にイメージし文章にする、というのは成功哲学のオーソドックスな手法です。
その基本は、うつむいて嘆くよりも、顔を上げて光の方を見ましょうというような内容です。
そこでは光はGOODで影はBAD、ポジティブはGOODでネガティブはBAD、明るいはGOODで暗いはBAD、きれいはGOODで醜いはBAD、という確固たる価値基準があります。

しかし、そこにポジティブシンキングの弊害はないのでしょうか?

世の中は「影ばかり見ていないで光に顔を向けましょう」といった自己啓発系アドバイスが有効な人ばかりではありません。わかっていてもそれが出来ないという人もたくさんいます。その場合、それが出来ない事でかえって自分を責め、追い込んでしまう事もあり得ます。

そしてまた、「自分の欲する成功とは何か?」と自身に問いかけた時、心の奥底の闇に出くわす可能性もあります。成功哲学において心の闇の存在は殆ど無視されていますが、その時に一人でそれと対峙するのはとても過酷な事です。

子供の頃、闇って怖かったですよね。暗いところにはお化けがいて、足を引っ張られたり、追い掛けられたりするのではないかと思って、夜トイレに行かれなかった経験は誰にでもあると思います。
でも最近、闇ってないですよね。コンビニは24時間営業、街は夜通し明るくていつでも人が行きかっています。山奥にでも行かない限り外はもちろん、家の中にも暗闇はありません。
かつて夜は暗いものでした。そこら中が闇だらけで、特に戦後は人々の心の闇までも剥き出しだったことでしょう。暗闇、ネガティブ、それは「死」と直結し、人間にとって恐怖そのものです。人々は光を求めて一生懸命働き、文明はどんどん発展しました。そして今日、「夜の闇」は消失しました。
ところが、闇を追いやれば追いやるほど、ポジティブになろうとすればするほど、闇への恐怖がつのります。人々は闇から逃れるために、死にもの狂いで走り続けなければならなくなりました。
そして明るく前向きに夢に向かって突き進む、それが理想的な人間の生き方という前提で、そのために影を無視し闇を排除する・・・果たしてそれでみんなが幸せなのでしょうか?

「ゲゲゲの鬼太郎」の著者、水木しげる氏は闇の中で生まれる恐怖とイマジネーションの中で妖怪を描き続けたそうです。嫉妬や怨念が剥き出しの妖怪は、人間の心の闇を映し出す鏡です。水木氏は闇から目を背けるのではなく、闇を凝視する事でその中に希望を見出したのです。

私達にとって一番怖いのは「何だかわからない物」「得体の知れない物」です。逃げれば逃げるほど、目を背ければ背けるほど恐怖は増大します。

当院の院長、本宮先生は人間の心の闇を徹底的に分析した治療家です。「邪気」をこれだけ分析、解明した人は歴史的にもそういないのではないかと思います。
もし、あなたが心の奥底の得体の知れない恐ろしいモヤモヤを解放したいと願うなら、闇を徹底的に分析し、的確にガイドしてくれるセラピストを選ぶべきです。

ただ、フラワーフォトセラピーを用いれば、浮き上がってくる心の奥底の闇は無自覚で消えていく事が殆どです。あっけないくらいです。それは一枚一枚の美しいはお花の写真に人の心の闇を事細かに分析したメソッドが凝縮され反映されているからです。
ですからその美しい波動は複雑で繊細な心の襞にピタリと寄り添い癒してくれるのです。

御病気のご相談はもちろんですが、人生の目的を見つけたい方、よりステップアップしたい方、恋愛成就したい方、フラワーフォトセラピーでまずは心のお掃除をしませんか?

フラワーフォトセラピーについての詳細は
http://www.shinshin-therapy.com/flower.html

お気軽にお問い合わせ下さい。

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 21:19| 心理・哲学

2010年04月01日

苦しい時の神頼み

普段宗教に全く関心がなくても、本当に困ったとき、苦しい時には「神様にお願い」してしまうのが人情ですよね。そしてその時「これまで不信心だった事をお許し下さい、これからはきちんと信心して供物も捧げます、だから神様願い、助けて下さい!」という具合に何か交換条件を設定してお願いしたりします。神様に改心した事や信心深さ、もしくは根性を示して「〜するから、〜してくれ」という訳です。人間社会のマナーと同じく、目上の人に頼み事をする時に手ぶらでは失礼ですものね。・・・って、ちょっと待って下さい。神様の愛は無償じゃないのexclamation&question

自然を崇拝するアニミズムに於いても祈祷師が神との媒介者となるシャーマニズムに於いても供物や生贄が必要ですし、私たちの遺伝子に染み込んだ神への畏怖や信仰心、帰依願望はとても自然なもので、供物やお賽銭も神様とコンタクトするためのコミュニケーションツールと言えるのかもしれません。

一方、神の存在を認めず、信仰を良しとしない思想があります。その代表は東洋の叡智「空」と「道」の思想です。では何故、仏陀も老子も神の存在を否定したのでしょうか?それはどうやら私達の信仰心に落とし穴がありそうです。私達は苦しみから逃れ、そして何かを希求すればするほど、「神様」に頼りたくなります。それは希求心、信仰心があるが故、心に生じる「隙間」なのかもしれません。その隙間を狙って「偽神」が、あなたに忍び寄ります・・・がく〜(落胆した顔)って脅かしじゃないですよ。
よく、「悪魔に魂を売る」なんて言い方をしますが、「偽神」は人間の欲望が大好物のようです。
仏陀も老子もそんな人間のジレンマを深く悟っていたのでしょう。

今週の日曜日4/4の哲学講座では再び「老子」の思想を取り上げ、神も信仰も必要としない「道」の潔い思想とその意味をより深く学びます。また、オカルト神秘主義や究極実体論と比較する事で「道」の真理に迫ります。「偽神」に騙されない、強い信念と柔軟な心を養うためのヒントがきっと見つかるはずです。
お申し込み、お問い合わせは
http://www.shinshin-therapy.com/koza.html#tetsugaku
・・オキノ・・





posted by ルーエ at 15:01| 心理・哲学

2010年03月02日

共鳴アンテナ

「共鳴アンテナ」とは本宮院長の造語ですが、どうも誰もが頭にアンテナを立てているらしいのです。想像するとおかしい図ですし、何のこと?って話しですよね。

人だけでなく、動物は皆周囲の気配に気を配りながら生きています。その気配察知装置と言えば何となくわかって頂けるかと思います。
また、アンテナの精度や特徴は人それぞれです。
俗に言う「空気を読む」もこのアンテナの働きのひとつでしょう。

セラピーに於いては、この「共鳴アンテナ」が大変重要な問題になってきます。
アンテナが非常に敏感な人は常に周囲の人のストレス感情や、そこら中に漂う不特定多数の人の邪気までキャッチしてしまいます。そうなると、自身のアンテナに邪気が溜まってしまい、更に邪気に敏感になります。人混みで具合が悪くなってしまう理由はこういう仕組みのようです。私は鈍感だから大丈夫、という問題でもありません。意識を超えた周波も存在するからです。多かれ少なかれ誰でもアンテナにゴミが溜まっているのです。

では、浄化しましょう!

当院では、この共鳴アンテナを浄化するための、アロマブレンドとフラワーフォトが揃っています。数あるアイテムの中でもこれは大好評のシリーズです!

セラピーに於いては、まず溜まってしまったストレス、邪気を浄化します。でも、共鳴アンテナをきちんと浄化しておかないと、後から後からまた邪気が入って来てしまいます。
人生いつも何かに足を引っ張られているようで何をやってもうまくいかない「慢性人生困難症」を断ち切るためのセラピーが当院の柱です。

共鳴アンテナをきちんと浄化する事で、邪気との共鳴をカットし、真気、愛のエネルギーと共鳴するピカピカのアンテナを立てましょう!

・・オキノ・・

posted by ルーエ at 18:56| 本宮式セラピー

2010年02月12日

こじれる人間関係

気の合う友人、信頼できる職場の先輩、頼りになる上司、ラヴラヴの恋人・・のはずだったのに、いつの間にか関係はこじれます。相手が変わってしまったのか、もしくはこちらが人間性を見誤っていたのか、とにかく思っていた人物と違う・・などと考えているうちに関係はぎくしゃくし始め、距離ができる。

それは人間関係の法則です。
何故いつもそうなってしまうのでしょう・・?

人の心を円錐を逆さにしたようなものと想像してみて下さい。中は螺旋階段になっている立体構造です。

人間関係の最初はこの螺旋階段の一番上の所で始まります。
階段の上の方は自分でよく管理してきれいに掃除してあるので、問題無くお互いを受け入れる事ができます。
そしてだんだんと仲が親密になっていくと、お互いにもう少し階段を降りてみたくなります。もっと心の奥をお互いにさらけ出して、自分という人間をわかって欲しい、相手をもっとわかりたい、という欲求が出てきます。
そして少しずつ階段を降りてみたところ、下の方に行くほど掃除が出来ていないのでゴミがたくさん出てきます。お互いのゴミまで一緒に交流する事になるので、そこで必ず関係に変化が起こります。大抵の場合「失望」するのです。
階段の上部は掃除も行き届き、きれいに飾られていて、すごく素敵だと思っていたのに、地下はぐちゃぐちゃのゴミだらけ、もうヤダ、こんな人、という事になってしまいます。

さて、そこで人間関係は必ず終わりでしょうか?

もちろん終わりにする事も出来ます。

でも、階段にはまだまだ続きがあります。

その先を行く事は確かに恐怖です。それは他人の心の地下深くのゴミだけでなく、自分の心のゴミを見ることにもなるからです。

しかし、簡単に諦めてしまっては面白くありません。
その先には、新たな発見とたくさんの喜びもあるはずです。

人間関係の悩みは誰もが抱える問題です。
当院のセラピーは、何が問題かを徹底的に分析していきます。どんなにこんがらがってしまった人間関係も改善する可能性があります。是非、ご相談下さい。

・・・オキノ・・
posted by ルーエ at 14:46| 心理・哲学

2010年02月10日

私は私?

何にも依存せず、常に心身の状態をセルフチェックしながら自己管理出来れば人生はスムーズかもしれませんが、それはなかなか難しい課題です。人生経験を積めばそれらのセルフチェック機能も自然に向上していくかというと、そう簡単な話しでもないようです。
逆に年齢を重ねるほど傲慢になり、自身を省みる客観性を失ってしまう例も多いですよね・・。そうならないよう常日頃気を付けなければなりません。

さて、当院でセラピーを受けていらっしゃる方で次のような葛藤を持たれる例があります。

・エッセンンシャルオイルやハーブを使う事で心身の改善はあったものの、それらを切らすと不安、もしくは頼ってしまいそうで怖い。
・フラワーフォトセラピーでは、心の奥底のストレスや乳幼児期トラウマまで、いつの間にか解決してしまったのだが、ひとつひとつのストレス感情を顕在化したり向き合ったりしないでいいのだろうか?
・このセラピーは他力(フラワーフォトなどセラピーに用いる手段の事)本願すぎるのでは・・?
などなど。
真面目な方ほどこういった葛藤があるようです。

まず、エッセンンシャルオイルやハーブについてですが、これらはメンタル面やホルモンバランスに働きかける事はあっても、ハーブそのものが足りない何かを補うわけではありません。それらは治癒力スイッチを入れてくれるだけで、実際には自身の心身がバランスを取るべく働くのです。

それから、セラピーの過程でこれに頼ってしまっていいのか、という葛藤が生じる事があります。このままここに頼っていては自分で努力しなくなってしまうのでは、とおっしゃる方もいます。もし、自身で決断する事を避け何でも占い師に相談しているとか、何でも人任せ、もしくは神頼みだとしたら問題がありますが、通常の葛藤は自身で認識できない無意識への恐怖のようです。

心理には「そうそう、その通り!」と「ピンと来ないけど良く考えたらそうかもしれない」と「全くピンと来ない」というレベルがあります。
人が普通に受け入れられるのは前者二つまでで、予想もしなかったような事を言われると恐怖を感じたり、憤慨したり、無視したりします。
ここで問題なのは、自覚できない自分の深層心理、自分ではどうにも出来ない事、との折り合いです。
日本人は西洋人よりはまだこの未知の自分を受け入れ易いと思いますが、非常に理性的な人ほど、この「自分のコントール外の事」を受け入れ難いようです。
でも実際は・・自分が把握している自分はリンゴの皮の部分に過ぎません。あとはほぼ無意識なのです。それどころか、人はいとも簡単に他なる存在に影響を受けて飲み込まれてしまう頼りない存在です。

フラワーフォトセラピーの大きな特徴のひとつは、ものすごく早いスピードでセラピーが進む事です。あっという間に無意識レベルに作用し変化が起こります。
それは時として戸惑いを生みますが・・でも大丈夫!
今自分で把握している自分、把握している世界を一度解放してみるのもいいのではないでしょうか?そこに全く新しい自分、全く新しい世界が待っているかもしれませんかわいい

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 15:45| 心理・哲学

2010年02月01日

心と身体

当院は院名の通り「心身一体療法研究所」です。
心と身体は決して個別に測れるものではありません。

精神的なストレスは何らかの形で身体に現れます。
それは程度によって「病気」となって発症します。
ですから、身体的病巣を取り除くだけが治療ではありません。
それを発症させた心の問題にも焦点を当てる必要があります。

逆に、身体が癒されて心が軽くなる事もよくありますね。
いつも肩がこる、腰が痛い、頭が重い、などなどの不調は気分を憂鬱にさせます。
じっくりとボディトリートメントを受ける事で心と身体のモヤモヤが吹き飛ぶ事もよくあります。
実際、病院で「パニック障害」と診断され、薬に頼っていた方でも首肩のコリをほぐしただけて、あっという間に改善された例が本当に多くあります。電車や人ごみですぐに気分が悪くなってしまうという方の多くは首肩がガチガチに固くこっています。

当院のボディトリートメントはただコリをほぐすだけではありません。身体の芯まで届く施術で気のめぐりを促し、全身のバランスを整えます。そうする事で、心と身体の治癒力スイッチを入れるのです。
心の声に耳を傾けてみましょう、とよく言いますが、ご自身の身体の声もよく聞いてみて下さい。身体を動かしてみてどこか不調はありませんか?
心と身体はひとつです。自分自身の大切な心と身体にもうほんの少し注意を向けることで、いろんな事がわかってくるかもしれません。

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 16:27| 治癒力

2010年01月26日

24日の哲学講座

ご出席頂いた皆様、お疲れ様でした。

「心に沁みる哲学と心に響く写真講座」で「老子」を取り上げたのは2回目だったのですが、今回はかなりじっくり深く老子哲学を検証しながら学ぶ事が出来ました。

老子哲学で言う「玄のまた玄」や「宇宙の根源」なるもの、プロティノスの言う「一者」、ウパニシャッドで言う「ブラフマン」などなど・・それらを最も偉大で尊いもの・・・としてしまうと、それは「神」の代替物となってしまいます。
老子哲学の真髄、それはもちろん「道」です。
そして「道」と「宇宙の根源」は別物である事が明確にわかりました。
「道」それは水の流れの如し・・宇宙の根源から、陰陽へ・・そして森羅万象へ・・その「流れ」こそが「道」なのです。
そこに東洋思想のダイナミズムの輝きを感じます。

今後も哲学的観点から、「脱・神」「脱・信仰」を考察していきたいと思います。

・・オキノ・・

posted by ルーエ at 15:30| 心理・哲学

2010年01月21日

「心に沁みる哲学と心に響く写真講座」

今週日曜日1月24日は今年最初の「心に沁みる哲学と心に響く写真講座」です。

今回は「老子」がテーマです。

今度の講座では老子のタオイズムの真髄を学んでいきます。

神も信仰も霊も神秘体験もない、老子のエロス(生命欲動)とスピリットを本宮院長が鋭い視点で解説していきます。
それは、曖昧な「神」の概念に一石を投じるものとなるでしょう・・!お楽しみに!

お申し込みはコチラ→
http://www.shinshin-therapy.com/koza.html#tetsugaku
前日までお申し込み受け付けます。よろしくお願いします。

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 20:48| お知らせ

2010年01月20日

変更になりました

2月28日に予定しておりました言霊セラピー講座は、3月7日に変更になりました。予定されていた方には大変申し訳ございませんが、ご了承下さいますよう、お願い致します。

今月24日は「心に沁みる哲学と心に響く写真講座」です。
今回は「老子」がテーマです。
もう少し詳し予告はまたのちほどかわいい

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 12:08| お知らせ

2010年01月16日

Do You Believe in God?

皆さんは初詣に行かれましたか?
私は、今年まだ行っていません。昨年の御札とお守りを返しに行かなければならないのですが・・。
今年も国民の7割以上が初詣に行かれたそうです。
普段お仏壇に手を合わせる習慣はないけれど初詣には毎年行く、という方の方が圧倒的に多いですよね。
よく言われるように日本人の宗教観は大雑把で、初詣もお墓参りもクリスマスも何でもあり、というのが一般的です。昔から日本人にとって「神様」は沢山いるので、いかにも日本的でそして平和な感じがして個人的にはこの緩さがいいと思います。
お隣さんが、大日如来を拝んでいようと、天照大神を拝んでいようと、誰も気にしません。

一方、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教のような一神教はどうも日本人にはしっくりきません。私達日本人にとって中東問題を理解するのは生理的にも難しいものがあります。
しかも、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も大元は同じ神様なのに、なぜ戦争まで起きてしまうのでしょう?
神様自身が「よくも私ではなく違う神を拝んだな!」と言って憤怒するとしたら、神様は決して寛容ではなく、私達人間と同じように嫉妬深く未完成な存在という事になりはしないでしょうか・・?

私達もよく罰が当たると言います。アニミズムの世界でも、神話の世界でも、神様は嫉妬深く、怒りっぽい存在です。人間は神の怒りを買わぬよう、一生懸命、生贄や供物を捧げます。アニミズムから現代の宗教まで、それは何千年もの間、人間の文化の根底に沁み込んだ神への畏怖です。

最近は神社参りが若い女性の間でブームになっています。パワースポットとか、縁結びなどとうたわれていると凄い人気だそうです。
私達は「苦しい時の神頼み」以前に、何か人間の力を超えた偉大なものに人生を委ねたいという願望があります。宗教や哲学に真理を求めるというベクトルとは別で、お参りして、お守りを買うと保険に入ったように安心出来るのです。そして、お参りをせず、買った御札をほったらかしにしていると罰が当たると思い込みます。
原始的なアニミズムの発想です。

これが、宗教哲学になると、もう少しバリエーションが広がります。
仏陀は「信仰を捨てよ」と言いました。もちろん彼は自分を「神だ」とは言いませんでした。孔子や老子も「神」については何も語っていません。
人間の運命を支配する「神」なる存在は認めなかったのです。

今後も信仰や宗教、東洋と西洋の世界観の違いなど、考察を深めていきたいと思います。

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 12:44| 心理・哲学