2015年11月14日

10分でわかる「空の思想」

今日皆さんにご案内するyoutube動画は、先日の写真セレクト講座の中でのミニ講義、
院長による、出来るだけ解りやすく、簡潔に「空」を解説するという試みです。
この解説後、みんなで写真撮影を試みたところ、中心と周縁の区別が無い、「空」的な写真が撮れました。
一時的でも、「空の思想」が心身に沁み込んだようです。
邪気から完全解放されて、自分らしく生きるためには「空」の思想を体得することが、
究極の目標となります。少しずつでも「空」を理解出来るように、何度でもこれを聞いて下さい。
なお、このURLはどこに貼り付けて頂いても構いません。どなたにでもどんどん拡散して下さい。

10分でわかる「空の思想」@
https://youtu.be/zWay7POPm8I

10分でわかる「空の思想」A
https://youtu.be/QgNK9-q75ro

是非感想をお寄せ下さい。
感想は以下のアドレスへ
abp-info@ac.auone-net.jp

沖野
posted by ルーエ at 18:19| 心理・哲学

2012年06月20日

自分探し

本当の自分って何なのか考えた事ありますよね。で、見つかりましたか?
自分探しをするという話しはよく聞きますが、それで自分が見つかったという話しを私は聞いた事がありません(~_~;)
本当の自分って一体どこにいるんでしょうね??

もしかしたら・・「本当の自分」自体が幻想なのではないでしょうか?
何処かに確固たる本当の自分がいる訳ではないのでは?では・・何処にも本当の自分がいないとしたら・・私達は何処を目指せばいいのでしょうか?
私達は常に他者と関わりながら生きています。外界と断絶した状態では生きていかれません。
例え、引きこもっていても他者と関わりたいという欲求が絶えることはありません。
逆に、他者と関わり解り合いたいからこそ引きこもったり、悩んだり、病気になったりします。
私達は他者と関わり、外界と関わり、悩みながら成長するしかありません。山に篭って瞑想しても「本当の自分」には出会えないのです。(瞑想が悪い訳ではありません!内観することは大切です)

確固たる自分も確固たる他者もいません。
常に関係性の中で変化する流動的な自己と流動的な他者しかいないのです。その一瞬一瞬の自己が常に本当の自分と言えるのかもしれません。

そしてまた「本当の自分」幻想が邪魔をして、人と関わるのが怖くなっている傾向はないでしょうか?
本当の自分なんて分かりもしないのに、人と深く関わったり、影響を受けたりすると、まるで自分が侵食されて自己がなくなってしまうように思います。本当は、他者と深く関わる事でしか自己を明らかにする方法はないのです。「関係性の中で本当の自分は日々更新される」こう考えてみてはどうでしょうか?

ほんのちょっと発想を変えて、家族と、恋人と、友人と、同僚と、上司と、接してみると、きっと相手にも、自分にも、新たな発見があるはずです。

・・オキノ・・

posted by ルーエ at 13:50| 心理・哲学

2010年04月21日

禁断の惑星

新月の夜にノートにお願い事を書くとか、未来の自分を日記形式で綴る未来日記とか・・やった事ないですか?それは成功哲学のオーソドックスな手法ですから、試みた経験がある方も多いと思います。その時「希望を出来るだけ具体化」するのが秘訣のようです。

ノートに書くだけで夢が叶うならこんなに素晴らしい事はありません。
ところが、これを真剣にやろうとするとなかなか難しいものがあります。考えれば考えるほど自分の希望がわからなくなってしまった経験がある方もいるはずです。

前回も書いたように、人間の心はとても複雑で、誰の心にも「闇」が潜んでいます。
という事は“あなたが強く望めばその思考は実現する、闇バージョン”もあり得ると言う事になります。

ここでとても面白い古いSF映画をご紹介します。
1956年アメリカ製作の「禁断の惑星」です。
ある惑星に高度な進化を遂げた「クレール人」という先住民族がいました。彼らが生み出した高度な文明とは「思考が現実化」する装置、すなわち“夢が何でも叶う”魔法の文明がそこにはあったのです。ところが、彼らは突然滅亡してしまいます・・!
何故なら、彼らは自らの心に潜む「闇」について全く無自覚だったからです。夢や希望の枠からはみ出し、膨れ上がった自らの欲望と共に増長された憎しみや怨念は「イドの怪物」となってそこに顕現します。(*イドとは潜在意識の事)自ら生み出した高度な文明は、己の心の闇に潜む「怪物」までも現実化してしまったのです。

SF映画という設定だからこそ描けた人間の心の多面性ですが、1956年にこんなによく出来た映画があった事に驚きです。機会があれば是非観て下さい。

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 00:13| 心理・哲学

2010年04月05日

闇のない世界

自分が欲する成功を出来るだけ具体的にイメージし文章にする、というのは成功哲学のオーソドックスな手法です。
その基本は、うつむいて嘆くよりも、顔を上げて光の方を見ましょうというような内容です。
そこでは光はGOODで影はBAD、ポジティブはGOODでネガティブはBAD、明るいはGOODで暗いはBAD、きれいはGOODで醜いはBAD、という確固たる価値基準があります。

しかし、そこにポジティブシンキングの弊害はないのでしょうか?

世の中は「影ばかり見ていないで光に顔を向けましょう」といった自己啓発系アドバイスが有効な人ばかりではありません。わかっていてもそれが出来ないという人もたくさんいます。その場合、それが出来ない事でかえって自分を責め、追い込んでしまう事もあり得ます。

そしてまた、「自分の欲する成功とは何か?」と自身に問いかけた時、心の奥底の闇に出くわす可能性もあります。成功哲学において心の闇の存在は殆ど無視されていますが、その時に一人でそれと対峙するのはとても過酷な事です。

子供の頃、闇って怖かったですよね。暗いところにはお化けがいて、足を引っ張られたり、追い掛けられたりするのではないかと思って、夜トイレに行かれなかった経験は誰にでもあると思います。
でも最近、闇ってないですよね。コンビニは24時間営業、街は夜通し明るくていつでも人が行きかっています。山奥にでも行かない限り外はもちろん、家の中にも暗闇はありません。
かつて夜は暗いものでした。そこら中が闇だらけで、特に戦後は人々の心の闇までも剥き出しだったことでしょう。暗闇、ネガティブ、それは「死」と直結し、人間にとって恐怖そのものです。人々は光を求めて一生懸命働き、文明はどんどん発展しました。そして今日、「夜の闇」は消失しました。
ところが、闇を追いやれば追いやるほど、ポジティブになろうとすればするほど、闇への恐怖がつのります。人々は闇から逃れるために、死にもの狂いで走り続けなければならなくなりました。
そして明るく前向きに夢に向かって突き進む、それが理想的な人間の生き方という前提で、そのために影を無視し闇を排除する・・・果たしてそれでみんなが幸せなのでしょうか?

「ゲゲゲの鬼太郎」の著者、水木しげる氏は闇の中で生まれる恐怖とイマジネーションの中で妖怪を描き続けたそうです。嫉妬や怨念が剥き出しの妖怪は、人間の心の闇を映し出す鏡です。水木氏は闇から目を背けるのではなく、闇を凝視する事でその中に希望を見出したのです。

私達にとって一番怖いのは「何だかわからない物」「得体の知れない物」です。逃げれば逃げるほど、目を背ければ背けるほど恐怖は増大します。

当院の院長、本宮先生は人間の心の闇を徹底的に分析した治療家です。「邪気」をこれだけ分析、解明した人は歴史的にもそういないのではないかと思います。
もし、あなたが心の奥底の得体の知れない恐ろしいモヤモヤを解放したいと願うなら、闇を徹底的に分析し、的確にガイドしてくれるセラピストを選ぶべきです。

ただ、フラワーフォトセラピーを用いれば、浮き上がってくる心の奥底の闇は無自覚で消えていく事が殆どです。あっけないくらいです。それは一枚一枚の美しいはお花の写真に人の心の闇を事細かに分析したメソッドが凝縮され反映されているからです。
ですからその美しい波動は複雑で繊細な心の襞にピタリと寄り添い癒してくれるのです。

御病気のご相談はもちろんですが、人生の目的を見つけたい方、よりステップアップしたい方、恋愛成就したい方、フラワーフォトセラピーでまずは心のお掃除をしませんか?

フラワーフォトセラピーについての詳細は
http://www.shinshin-therapy.com/flower.html

お気軽にお問い合わせ下さい。

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 21:19| 心理・哲学

2010年04月01日

苦しい時の神頼み

普段宗教に全く関心がなくても、本当に困ったとき、苦しい時には「神様にお願い」してしまうのが人情ですよね。そしてその時「これまで不信心だった事をお許し下さい、これからはきちんと信心して供物も捧げます、だから神様願い、助けて下さい!」という具合に何か交換条件を設定してお願いしたりします。神様に改心した事や信心深さ、もしくは根性を示して「〜するから、〜してくれ」という訳です。人間社会のマナーと同じく、目上の人に頼み事をする時に手ぶらでは失礼ですものね。・・・って、ちょっと待って下さい。神様の愛は無償じゃないのexclamation&question

自然を崇拝するアニミズムに於いても祈祷師が神との媒介者となるシャーマニズムに於いても供物や生贄が必要ですし、私たちの遺伝子に染み込んだ神への畏怖や信仰心、帰依願望はとても自然なもので、供物やお賽銭も神様とコンタクトするためのコミュニケーションツールと言えるのかもしれません。

一方、神の存在を認めず、信仰を良しとしない思想があります。その代表は東洋の叡智「空」と「道」の思想です。では何故、仏陀も老子も神の存在を否定したのでしょうか?それはどうやら私達の信仰心に落とし穴がありそうです。私達は苦しみから逃れ、そして何かを希求すればするほど、「神様」に頼りたくなります。それは希求心、信仰心があるが故、心に生じる「隙間」なのかもしれません。その隙間を狙って「偽神」が、あなたに忍び寄ります・・・がく〜(落胆した顔)って脅かしじゃないですよ。
よく、「悪魔に魂を売る」なんて言い方をしますが、「偽神」は人間の欲望が大好物のようです。
仏陀も老子もそんな人間のジレンマを深く悟っていたのでしょう。

今週の日曜日4/4の哲学講座では再び「老子」の思想を取り上げ、神も信仰も必要としない「道」の潔い思想とその意味をより深く学びます。また、オカルト神秘主義や究極実体論と比較する事で「道」の真理に迫ります。「偽神」に騙されない、強い信念と柔軟な心を養うためのヒントがきっと見つかるはずです。
お申し込み、お問い合わせは
http://www.shinshin-therapy.com/koza.html#tetsugaku
・・オキノ・・





posted by ルーエ at 15:01| 心理・哲学

2010年02月12日

こじれる人間関係

気の合う友人、信頼できる職場の先輩、頼りになる上司、ラヴラヴの恋人・・のはずだったのに、いつの間にか関係はこじれます。相手が変わってしまったのか、もしくはこちらが人間性を見誤っていたのか、とにかく思っていた人物と違う・・などと考えているうちに関係はぎくしゃくし始め、距離ができる。

それは人間関係の法則です。
何故いつもそうなってしまうのでしょう・・?

人の心を円錐を逆さにしたようなものと想像してみて下さい。中は螺旋階段になっている立体構造です。

人間関係の最初はこの螺旋階段の一番上の所で始まります。
階段の上の方は自分でよく管理してきれいに掃除してあるので、問題無くお互いを受け入れる事ができます。
そしてだんだんと仲が親密になっていくと、お互いにもう少し階段を降りてみたくなります。もっと心の奥をお互いにさらけ出して、自分という人間をわかって欲しい、相手をもっとわかりたい、という欲求が出てきます。
そして少しずつ階段を降りてみたところ、下の方に行くほど掃除が出来ていないのでゴミがたくさん出てきます。お互いのゴミまで一緒に交流する事になるので、そこで必ず関係に変化が起こります。大抵の場合「失望」するのです。
階段の上部は掃除も行き届き、きれいに飾られていて、すごく素敵だと思っていたのに、地下はぐちゃぐちゃのゴミだらけ、もうヤダ、こんな人、という事になってしまいます。

さて、そこで人間関係は必ず終わりでしょうか?

もちろん終わりにする事も出来ます。

でも、階段にはまだまだ続きがあります。

その先を行く事は確かに恐怖です。それは他人の心の地下深くのゴミだけでなく、自分の心のゴミを見ることにもなるからです。

しかし、簡単に諦めてしまっては面白くありません。
その先には、新たな発見とたくさんの喜びもあるはずです。

人間関係の悩みは誰もが抱える問題です。
当院のセラピーは、何が問題かを徹底的に分析していきます。どんなにこんがらがってしまった人間関係も改善する可能性があります。是非、ご相談下さい。

・・・オキノ・・
posted by ルーエ at 14:46| 心理・哲学

2010年02月10日

私は私?

何にも依存せず、常に心身の状態をセルフチェックしながら自己管理出来れば人生はスムーズかもしれませんが、それはなかなか難しい課題です。人生経験を積めばそれらのセルフチェック機能も自然に向上していくかというと、そう簡単な話しでもないようです。
逆に年齢を重ねるほど傲慢になり、自身を省みる客観性を失ってしまう例も多いですよね・・。そうならないよう常日頃気を付けなければなりません。

さて、当院でセラピーを受けていらっしゃる方で次のような葛藤を持たれる例があります。

・エッセンンシャルオイルやハーブを使う事で心身の改善はあったものの、それらを切らすと不安、もしくは頼ってしまいそうで怖い。
・フラワーフォトセラピーでは、心の奥底のストレスや乳幼児期トラウマまで、いつの間にか解決してしまったのだが、ひとつひとつのストレス感情を顕在化したり向き合ったりしないでいいのだろうか?
・このセラピーは他力(フラワーフォトなどセラピーに用いる手段の事)本願すぎるのでは・・?
などなど。
真面目な方ほどこういった葛藤があるようです。

まず、エッセンンシャルオイルやハーブについてですが、これらはメンタル面やホルモンバランスに働きかける事はあっても、ハーブそのものが足りない何かを補うわけではありません。それらは治癒力スイッチを入れてくれるだけで、実際には自身の心身がバランスを取るべく働くのです。

それから、セラピーの過程でこれに頼ってしまっていいのか、という葛藤が生じる事があります。このままここに頼っていては自分で努力しなくなってしまうのでは、とおっしゃる方もいます。もし、自身で決断する事を避け何でも占い師に相談しているとか、何でも人任せ、もしくは神頼みだとしたら問題がありますが、通常の葛藤は自身で認識できない無意識への恐怖のようです。

心理には「そうそう、その通り!」と「ピンと来ないけど良く考えたらそうかもしれない」と「全くピンと来ない」というレベルがあります。
人が普通に受け入れられるのは前者二つまでで、予想もしなかったような事を言われると恐怖を感じたり、憤慨したり、無視したりします。
ここで問題なのは、自覚できない自分の深層心理、自分ではどうにも出来ない事、との折り合いです。
日本人は西洋人よりはまだこの未知の自分を受け入れ易いと思いますが、非常に理性的な人ほど、この「自分のコントール外の事」を受け入れ難いようです。
でも実際は・・自分が把握している自分はリンゴの皮の部分に過ぎません。あとはほぼ無意識なのです。それどころか、人はいとも簡単に他なる存在に影響を受けて飲み込まれてしまう頼りない存在です。

フラワーフォトセラピーの大きな特徴のひとつは、ものすごく早いスピードでセラピーが進む事です。あっという間に無意識レベルに作用し変化が起こります。
それは時として戸惑いを生みますが・・でも大丈夫!
今自分で把握している自分、把握している世界を一度解放してみるのもいいのではないでしょうか?そこに全く新しい自分、全く新しい世界が待っているかもしれませんかわいい

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 15:45| 心理・哲学

2010年01月26日

24日の哲学講座

ご出席頂いた皆様、お疲れ様でした。

「心に沁みる哲学と心に響く写真講座」で「老子」を取り上げたのは2回目だったのですが、今回はかなりじっくり深く老子哲学を検証しながら学ぶ事が出来ました。

老子哲学で言う「玄のまた玄」や「宇宙の根源」なるもの、プロティノスの言う「一者」、ウパニシャッドで言う「ブラフマン」などなど・・それらを最も偉大で尊いもの・・・としてしまうと、それは「神」の代替物となってしまいます。
老子哲学の真髄、それはもちろん「道」です。
そして「道」と「宇宙の根源」は別物である事が明確にわかりました。
「道」それは水の流れの如し・・宇宙の根源から、陰陽へ・・そして森羅万象へ・・その「流れ」こそが「道」なのです。
そこに東洋思想のダイナミズムの輝きを感じます。

今後も哲学的観点から、「脱・神」「脱・信仰」を考察していきたいと思います。

・・オキノ・・

posted by ルーエ at 15:30| 心理・哲学

2010年01月16日

Do You Believe in God?

皆さんは初詣に行かれましたか?
私は、今年まだ行っていません。昨年の御札とお守りを返しに行かなければならないのですが・・。
今年も国民の7割以上が初詣に行かれたそうです。
普段お仏壇に手を合わせる習慣はないけれど初詣には毎年行く、という方の方が圧倒的に多いですよね。
よく言われるように日本人の宗教観は大雑把で、初詣もお墓参りもクリスマスも何でもあり、というのが一般的です。昔から日本人にとって「神様」は沢山いるので、いかにも日本的でそして平和な感じがして個人的にはこの緩さがいいと思います。
お隣さんが、大日如来を拝んでいようと、天照大神を拝んでいようと、誰も気にしません。

一方、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教のような一神教はどうも日本人にはしっくりきません。私達日本人にとって中東問題を理解するのは生理的にも難しいものがあります。
しかも、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も大元は同じ神様なのに、なぜ戦争まで起きてしまうのでしょう?
神様自身が「よくも私ではなく違う神を拝んだな!」と言って憤怒するとしたら、神様は決して寛容ではなく、私達人間と同じように嫉妬深く未完成な存在という事になりはしないでしょうか・・?

私達もよく罰が当たると言います。アニミズムの世界でも、神話の世界でも、神様は嫉妬深く、怒りっぽい存在です。人間は神の怒りを買わぬよう、一生懸命、生贄や供物を捧げます。アニミズムから現代の宗教まで、それは何千年もの間、人間の文化の根底に沁み込んだ神への畏怖です。

最近は神社参りが若い女性の間でブームになっています。パワースポットとか、縁結びなどとうたわれていると凄い人気だそうです。
私達は「苦しい時の神頼み」以前に、何か人間の力を超えた偉大なものに人生を委ねたいという願望があります。宗教や哲学に真理を求めるというベクトルとは別で、お参りして、お守りを買うと保険に入ったように安心出来るのです。そして、お参りをせず、買った御札をほったらかしにしていると罰が当たると思い込みます。
原始的なアニミズムの発想です。

これが、宗教哲学になると、もう少しバリエーションが広がります。
仏陀は「信仰を捨てよ」と言いました。もちろん彼は自分を「神だ」とは言いませんでした。孔子や老子も「神」については何も語っていません。
人間の運命を支配する「神」なる存在は認めなかったのです。

今後も信仰や宗教、東洋と西洋の世界観の違いなど、考察を深めていきたいと思います。

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 12:44| 心理・哲学

2009年11月23日

心の免疫力

急に寒くなり、いよいよ冬本番ですね。インフルエンザも流行っていますので予防のために出来る事はなるべく心掛けたいですね。うがい手洗い、マスク着用は最低限の水際対策ですが、根本的な問題は体調管理です。最近は電車内でちょっと咳をしただけで鋭い視線を向けられてしまうほど皆がピリピリと神経質になっていますが、風邪をひいている人が傍で咳をしたからといって必ず感染するわけではありません。心身の状態が良好で免疫がしっかりと機能していれば、感染する可能性は低くてすみます。
私が子供の頃は殺菌剤入りの石鹸もなかったですし、ましてアルコールで手を拭いたりする習慣もありませんでしたが、冬になれば母が生姜湯を作ってくれたり、食卓には根菜類が多く並んだり、冬には冬の体調管理が自然に出来ていたのかもしれません。
健康のためには、病原菌を出来る限りシャットアウトする事とそれに対する抵抗力をつける事、両方が必要なのですが、病原菌が減った事を顕微鏡で確認できないと安心出来ないような風潮を感じてしまうのは私だけでしょうか・・。

さて、今日は病原菌ではなく、ストレスに対する心の免疫力のお話しです。
これまで書いてきたように、人は無自覚に他者の欲望を生きたり、簡単に他者のストレスに感染したりと、何とも頼りなくか弱い生き物です。
心の健康を保つには、ストレスを溜めないよう上手に発散する事と同時にストレスに負けない強い心を養う事が必要です。でも・・心を養うってどういう事でしょう?
私たちは生まれてすぐは何も出来ませんが、教育を受けながら少しずつ「人間」になっていきます。歩き始め、自我が目覚める頃から「してはいけない事」を親から学び、叱られながら成長します。そして学校に入り集団生活の中で社会のルールを学んでいきます。
しかし、今日社会は物凄いスピードで変化しています。複雑化していく社会に取り残されないよう日々戦々恐々とした大人達は全く余裕がありません。自らの価値観が揺らいでいる中で、子供たちに向って「生きていく上で大事な事」を堂々と教える自信も揺らいでいるのではないでしょうか。
今、論語などの古典がブームになっているのはそういう背景があるのかもしれません。人間は何処かで揺るぎない倫理道徳を求めているのです。個性を生かすためにはまず土台が必要なのです。

当院では「心に沁みる哲学と心に響く写真講座」を2カ月に1回行っています。これまで、プラトン、プロティノスなどの西洋哲学から、孔子、ブッダ、老子、墨子などの東洋哲学まで幅広く古典の真髄を学んできました。そこには、時代、人種を超えた人間の知恵が詰まっています。哲学に精通した本宮院長の無駄を削ぎ落とした独自の解説が私たちの心身にスムーズに沁みわたっていきます。
そして、「気」を捉える花写真の撮影法をトレーニングします。
哲学的視点を持つ事でこんなにも、写真が変わるものか・・?!と毎回新鮮な驚きを体験します。本当に凄いですよ〜。

次回11月29日の「心に沁みる哲学と心に響く写真講座」の内容の予告はまた明日・・。

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 19:36| 心理・哲学

2009年11月14日

わかってちょーだい!実践編

会話しながらで実際に相手の胸の奥に意識を向けてみました、というご報告を頂きました。その方は胸が苦しくなってしまったそうです。

実践するにあたってもう少しお話ししておきます。

苦しくなってしまうのはおおいにあり得る事です。相手の胸の奥に意識を向ける、という事は相手の本心の波動に合わせるという事ですから、同調して気分が悪くなってしまう可能性もあります。(なので、親しい間柄だけで行って下さいね)
敏感な方なら、相手の感情がリアルに伝わってきて悲しくなったり、怒りがわいたりするかもしれません。
絶対に忘れてはいけないのは、それは自分自身の感情ではない、という事です。
例えば悲しみの感情が伝わってきたら、「心の奥では悲しいんだな」と分析してみます。本人は認めたくない感情かもしれないので、必ずしも「悲しいのね」と言う必要はありません。
相手の心の声に耳を傾ける、という事が大事なのです。
それだけで、相手の心に風穴が開くはずです。
そして自分も相手の本心ではない表面的な言動に惑わされずに済みます。
更に1歩進んだ関係性が築けるかもしれませんよね。

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 00:33| 心理・哲学

2009年11月12日

わかってちょーだい!日常編

とは言っても、日常生活の中で、人の心の複雑な機微を的確に察して声を掛けてあげるなんて、相当高度な技ですよね。しかも、人の心は複雑です。泣いていても、怒っていても、その理由はひとつではありません。ですから、何かひとつの正解がある訳ではないのです。それに、基本的に人は本心とは違う事を言う、と思っていた方が無難です。

人間って本当に面倒な生き物ですね〜。。。

そしてこの忙しい現代社会では人の本心を気遣う余裕はなかなかありません。多くの人はとにかく面倒な事は避けたいと思っています。そして、とりあえず「人が言った事」を基本に交流しようとします。

でも・・せめて、家族や恋人、友達との間では、その言葉の裏の感情、心の奥底の本音、を察してあげられるような余裕を持ちたいものです。

例えば、母親に叱られた幼い子供が「ママなんか嫌いだ〜!」と言います。そんなありふれた子供の言葉ひとつにも複雑な感情が含まれています。それは「もっともっと愛して」か「ママを怒らせた自分に対する怒り」かもしれません。しかし、もしこの母親が子供の言葉通り、「子供に嫌われてしまった」と受け取ったら・・?とても厄介な事になりますね。
これはとてもわかり易い例ですが、これと同じような事が大人同士の関係にもありませんか?

冒頭にも書いたように、そこにたったひとつの正解がある訳ではありません。ただ、相手の言動に惑わされず、「本音、本心はどうなんだろう?」と心の奥に焦点を当ててあげるだけでいいのです。
それにはコツがあります。実際相手の胸の奥に意識を向けます。そうすると「気」の交流が生まれ、お互いの気持ちに変化が現れるはずです。是非試してみて下さい。
*注意!親しい間柄でのみ試して下さい*

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 12:03| 心理・哲学

2009年11月11日

わかってちょーだい!癒し編

人はどんな時に「癒し」を感じるでしょうか?

友達が落ち込んでいる時に何て声を掛けたらいいか困ってしまう事はよくありますよね。
目の前で友達が泣いていても、その人が悲しいのか、悔しいのか、不満なのか、よくわかりません。その感情は漠然としていて当の本人でさえ言葉で表現出来ない事がよくあります。でも、的確にその気持ちを汲んであげる事が出来れば「そう!そうなの!わかってくれる?!」となり、友達の心を軽くしてあげる事ができます。
そうです。人が癒しを感じるのは「わかってもらえた時」なのです。まして、自分でも表現できない心のモヤモヤを誰かが理解してくれたとしたら、こんなに嬉しい事はありません。そんな時は当然その相手に好意を持ちます。と同時にお互いの身体にも二人の間にも「気」が流れます。これが「癒し」の基本です。

人の心はとても繊細で複雑です。「気」の世界も同じです。悔しくて泣いている人に「悲しいのね」と声を掛けても「気」は殆ど動きません。
セラピーという観点ではクライアントの心身のニーズを的確に察する事が出来て初めて「気」が流れ「癒し」が始まります。似たような鍵ではドアが決して開かないのと同じで、心も身体もその鍵穴にぴったりと合った鍵でないと、癒されないのです。
当院ではフラワーフォトは数千枚、アロマオイルのブレンドは50種以上のご用意があります。それぞれのクライアントさんの心と身体のニーズを見極めるところからセラピーは始まり、最も適切なフラワーフォト、アロマオイル、ボディトリートメントなどを組み合わせた最適なセラピーをご提供致します。本宮院長オリジナルの技法FBPを用いる事で精密な「気」の診断が可能なのです。
詳しくはコチラ→http://www.shinshin-therapy.com/chiryo.html

「気」の診断に基づいたフラワーフォトをお見せすると、多くの方は「ああ、これこれ!」とおっしゃいます。深い安堵感で泣き出してしまう方も少なくありません。
いろいろな体験記は‘08年8月号の「安心」(マキノ出版)で特集されました。http://www.makino-g.jp/anshin/index.html 当院にも在庫がございます。

または「きとりかさん」のHPをご覧下さい。→http://yumekanau.org/

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 14:19| 心理・哲学