2012年07月30日

愛のイメージ

このブログでは常に人間関係について考察しています。
私達の人間関係は主に3種類しかありません。

@ 支配隷属関係(これを個我的関係と呼びます)
一方は支配的、攻撃的な人格となり、一方は隷属的、自虐的人格となります。

A べったりとくっつき、ひとつになろうとするような関係(これを融即的関係と呼びます)
お互いに同一化して何でも同じになろうとする。そうなる事を理想とする。

B @でもAでもない関係。(これを関係性自我に基づく愛情関係と呼びます)
これをイメージするのはかなり難しいのですが、今後はこの人間関係を築くためにどうすればいいのかを考察していきたいと思います。

@が健全でない事は誰でもわかりますよね。
問題はAの融即的関係です。愛情が深まれば、大抵の場合相手と融即したくなります。
母親が子供を自分の分身と思うように、愛し合う恋人同士がひとつになりたいと思うように、他者と融即する事は一見愛の喜びのように見えます。しかし、この関係には大きな落とし穴があるのです。

私達は一人一人個人としての「膜」を持っています。他者と融即的に愛し合うためにはこの「膜」を壊す必要があります。愛の欲求が高まれば高まるほどこの「膜」が壊れる可能性も高まるという事です。しかし、この「膜」は私達個人をあらゆる「邪気」から守るための大切なディフェンス機能を担っています。
それは、誰かと愛し合えば愛し合うほど病気になったり苦悩が増えたりする可能性がある、という・・とんでもない矛盾が生じるという事を意味します。何ともショッキングな理論ですよね。
そんなバカな・・と思うかもしれません。
でも少しだけ立ち止まって今までの愛のイメージを省みてみませんか?
大切な「膜」を壊さず、愛し合う方法がきっとあるはずです。いいえ、あるんです・・!

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 16:44| LOVE

2012年05月23日

愛に於ける不適切行動一覧

1、何も言えなくなく
2、興奮して喋りまくる
3、逃げ出して遠ざかる
3、まとわりついて離れない             
4、わざと嫌われるようなことをする
5、好かれようとしてやりすぎる      
6、その人の前でダメな自分を演じる
7、その人の前ではしゃぎすぎる、目立とうとする
8、自分は嫌われていると思いこむ         
9、相手を嫌いだと思いこむ、大嫌いだという
10、劣等感にさいなまれる             
11、相手より優位に立とうとする
12、自分を卑下する                
13、相手の欠点を見つけて批判する
14、誰よりも醜く劣っていると思いこむ       
15、相手には自分しかいないと思いこむ
16、他の女性(男性)に紹介する          
17、周りは全部敵だと思いみ、足引っ張り排除する
18、一途に思い込みすぎる             
19、他の女性(男性)sex・結婚する   
20、進んで降参する                
21、絶えず勝とうとする
22、進んで隷属・奉仕しようとする         
23、絶えず支配し権力を誇示する
24、相手の好みに全部同化する           
25、相手を自分の好みに従わせようとする
26、相手を称賛しまくる              
27、相手をこき下ろす
28、相手のいいところしか見えない         
29、相手の悪いところだけ見つけようとする
30、他人の前でもその人をほめる          
31、あることないこと吹聴する(悪い評判を立てる)
32、他の人を好きだと思いこむ           
33、他の人が好きであるようにふるまう
34、指摘されると一生懸命否定する         
35、指摘されるとやたら怒りだす
36、理想像を投影する               
37、ある部分、最低像を投影する
38、より地味で目立たない服装をする        
39、過剰に自己アピールする服装をする
40、連絡先を教えておいて連絡できないようにする  
41、しつこく電話・メールしまくる
42、他の異性を逃げのために作る・確保しておく   
43、無関心を装う、嫌いな振りをする
44、身体的な距離を取って遠ざけようとする     
45、身体的な距離をいきなり縮めすぎる

ざっと45項目挙げてみましたが、この中で自身に当てはまるものをチェックしてみて下さい。いくつ当てはまりますか?これらは男女関係に限らず、人間関係全般にあり得る事柄ですね。まずは人づきあいする上での自身の癖や傾向を省みてみましょう。
・・オキノ・・
posted by ルーエ at 14:18| LOVE

2012年05月15日

好きなのに・・何故?

子供の頃、好きな子をいじめたり、いじめられたりした経験ありませんか?それが愛情関係に於ける不適切な行動の原型です。好きなのにいじめてしまう。好きだからこそいじめてしまうんですね。そういった不適切行動は大人になってもあまり変わらないようです。大人になってからは、もっと複雑で面倒な行動をしてしまいます。私達はどうして素直に愛情を表現できないのでしょうか?

「愛」とは美しく尊くロマンティックなもの・・それは「愛」の一側面に過ぎません。
「愛」には必ず「エゴイズム」が混在します。愛が深まれば深まるほど「エゴイズム」も大きく膨れ上がるのです。私達凡人にとって「無償の愛」はあり得ません。では、愛のエゴイズムとはどういったものでしょうか?

次に挙げるのは愛情ある全ての関係にあり得る事柄です。恋人や夫婦間だけでなく、親子、兄弟姉妹、友人、上司と部下、教師と生徒、医者と患者など・・そこに愛情や信頼があれば全ての人間関係に当てはまります。多くの場合、愛と憎しみは表裏一体です。全く関心のない相手には憎しみも湧きません。
人を愛すれば・・
相手を所有し、独占したくなります。自分がその人の一番になりたい。その人をコントロールして自分の思い通りにしたい。自分のイメージ通りに愛されたい、愛したい。自分だけを愛して欲しい。ひとつになりたい。などなど・・。

また、こういうパターンもあります。
その人に所有されたい。隷属したい。全てを投げうって尽くしたい。などなど・・。

どのパターンも愛のエゴイズムです。どなたでも何らかの形で経験があると思います。
(え?それのどこがいけないの?と感じた方もいらっしゃると思いますが、そのお話はまたの機会に・・)

そしてこれらの欲求は決して満たされる事はないので、そこに憤りが生じます。
そうすると、そのフラストレーションは様々な形で表現される事になります。
思い通りにならない相手に対して怒りや嫌悪を覚え、非難したり、攻撃したりします。
もしくは、勝手に自分を卑下し、自信喪失になり、自己嫌悪したり、罪悪感を持ったりします。そうしてまた、自己嫌悪させたり、罪悪感を抱かせる相手を憎む気持ちも起こります。
全く人の心は複雑怪奇です。
この悪循環にはまれば関係は当然破綻します。

さて、何だか嫌な話しかもしれませんが、こういった愛にまつわる人の心のエゴイズムを客観的に理解する試みはとても重要な事です。また、そうする事で自身のエゴイズムの傾向を少しでも分析出来れば、自分の感情に振り回されずに済むのです。次回は「不適切行動一覧表」をUPしますので、まずは、御自身の「愛の癖」を振り返ってみましょう。
・・オキノ・・
posted by ルーエ at 19:43| LOVE

2012年05月08日

「愛」ってなあに?

私達は生まれた瞬間から、いいえ、胎児の時から、強烈に愛を必要とします。
「他者と愛し合い繋がりたい」それは人間の根源的な欲求です。金銭欲や権力欲はその代替欲求でしかありません。社会的な成功のために経済の仕組みとか、人との接しカ方とか、そういった学びには貪欲なのに愛情が絡んでくると途端に腰が引けてしまう・・という方結構いますよね。
恋愛にはひたすら体当たり、ボロボロに傷ついてもまた同じ失敗を繰り返してしまう・・
会社では見事な仕事ぶりの上司も家庭では子供とどう接していいかわからない迷える父親・・
そんなケースも本当によくあります。

社会的成功も高度なテクノロジーも「愛」の前では無力です。

愛を望めば望むほど、それは得難く、そして苦悩が深まります。
そもそも私達が欲しくて欲しくて仕方のない「愛」って一体何なのでしょうか?目に見えないこの「愛」というものに私達はどのように接したらいいのでしょう。「愛」とは何か?徹底的に考えたり、本気で話し合った経験がある方はどのくらいいらっしゃるでしょうか?私もセラピストという仕事に就くまでは「愛」について深く考えた事はありませんでした。それは抽象的でぼんやりと得体の知れないものでした。今はこの仕事に就いたお陰で「愛」について考えざるを得なくなりました。「愛」こそ病と苦悩の原因だからです。
ここで、私がお話ししたいのは、ハリウッド映画や韓流ドラマの世界の「愛」ではなく、人と人が支え合い、慈しみ合い、解り合う、広く深い愛情についてです。私達人間の細胞はそれを知っているはずなのに、過度な情報や邪魔が入って、私達の心は曇ってしまったのかもしれません。
何だか宗教臭いですかねあせあせ(飛び散る汗)決して宗教ではありませんのでご安心をあせあせ(飛び散る汗)
心のメカニズムを心理学や哲学の観点から、出来るだけ論理的に解明していく試みです。今後もどうかお付き合い下さいねかわいい
・・オキノ・・
posted by ルーエ at 22:19| LOVE

2010年07月08日

無償の愛

「無償の愛」ってあるんでしょうか?

私達未完の人間にとっては永遠の課題かもしれませんが、例えば太陽の光は無条件無差別に私達に恵を与えてくれます。では、神様の愛はどうでしょうか?(*ここで言う神は宗教的な概念の神です)
古来からどんな信仰も供物や生贄を必要としてきました。自然信仰に於いての供物は自然に感謝するという意味がありますが、もし供物も生贄も何も捧げなかったら、やはり自然(=神)の怒りに触れて天罰が下ると人々は考えたでしょう。天災や疫病は天罰という訳です。

人間はもともと罪深い存在である、というのはキリスト教の基本概念です。これを原罪と言います。人間として生まれた時点で既にマイナスからのスタートです。なので私達は常に精進し、苦行や苦難に耐え、神の愛を得なければ許されません。苦行や苦難に打ち克つ事が神への愛の証となるのです。これを「パッション」と言います。キリストの磔刑がまさにパッションです。愛はパッションによって実現するのです。
ああ・・・本当に気が重くなりますねたらーっ(汗)
わかりやすいのでキリスト教を例に挙げましたが、そこまで強烈でなくても、どうも私達は無条件に愛を享受する事に慣れていないようです。

私達人間はもともと愛に満ち溢れた存在で、生まれたこと自体がこの上ない喜びだ、と心底思えたら人生はどうでしょうか?逆に、何故、自分は無条件に愛され、守られ、受け入れられる存在だと思えないのでしょうか?

さてさて、当院での治療の最終目的はこれです。
無条件に愛を享受出来たら、治癒力UPはもちろん、人間関係だって、とってもスムーズなはずです!そんな自分を想像してみて下さいかわいい

・・オキノ・・
posted by ルーエ at 17:41| LOVE

2009年12月16日

All You Need is Love

愛こそ全て、愛が人を救い、癒し、支える最も尊いもの、と主張して異議を唱える人はいないでしょう。物質的な飽和状態の中で漠然とした不安を抱えて生きていると人々は尚更「愛」を口にします。

それにしても、「愛」って何でしょうか?
20年以上前ですが、3歳の姪に「愛ってなあに?」と聞かれ、絶句してしまった事を思い出します。では、今なら答えられるかと言われても、とても一言では言えない大変難しいものである事に変わりありません。

実際に恋愛のご相談でいらっしゃる方も少なくありませんが、そうでなくても、どんなご病気でも、お悩みでも、その背景には必ず「愛」の問題が潜んでいます。
それは、人が必ず「愛」を必要とするからです。
その他、人間には権力欲や、名誉欲、金欲や物欲などもありますが、愛欲ほど強烈で厄介なものはありません。
誰かを愛せば、愛されたいと欲し、独占したくなります。思うように愛が得られなければ失望し、自分以外の人が愛されていれば嫉妬し、相手を恨みます。全て愛故です。

そう簡単に美しく尊いものと言い切れない程「愛」にはあまりに複雑な要素が含まれています。私達は愛に翻弄され、迷い、悩み、心身の不調を発症させるのです。
それが自分自身の問題ならまだしも、この世には愛故のストレスエネルギーがわんさと漂っています。自身が抱えている愛の問題を出来るだけ冷静に認識するためにも、そこら中に漂う愛欲邪気に感染しないためにも、今後も人間の愛欲のメカニズム分析を試みていきたいと思います。

話しは変わりますが、今日偶然居合わせたクライアントさんお二人の会話がとても嬉しかったのでご報告させて頂きます。
お二人ともご家族の問題や長年の体調不良でご苦労されていましたが、5〜6回の通院でこんなにも改善するなんて夢のようだとおしゃっていました。こんなにも晴れやかな気持ちでお正月を迎えられるのは何年ぶりだろう?と、会話がとても弾んでおられて、傍にいた私もとても嬉しくなってしまいました!
このセラピーの効果を改めて確信しつつ、この画期的な方法をより多くの方に知って頂きたいと心から願う本日でした。

・・オキノ・・

posted by ルーエ at 17:11| LOVE

2009年10月17日

愛と治癒力その2

コミュニケーションとは、発信と受信です。人の話しを良く聞いて理解し、自分の言いたい事をきちんと話してきちんと伝える。このキャッチボールで人間関係を構築していくのですから、この能力は生きていく上でとても重要です。受信能力、まずはこれが重要で、そしてなかなか難しいものです。自分を表現したい、わかって欲しいという欲求が強すぎて、受信、すなわち相手を理解しようとする努力を怠ってしまいがちです。
お互いに話したい事だけ話してわかって欲しい合戦をして、結局は何も解り合う事が出来なかったという不毛なコミュニケーションを経験した事はありませんか?

次に愛情関係のベクトルを二つに分けて考えてみます。
まずは自分対周囲の人。家族、恋人、友人、仕事仲間、などですね。
愛のキャッチボールは会話を通してだけでなく、無言でも離れていてもエネルギーとして往来します。関係性が密接な程、そこに存在する愛のエネルギーは膨大です。
そして、この場合も受信能力がキーになります。ですが大半の人が愛をキャッチするのが苦手です。家族から、恋人から、友人から、100個の愛のボールが投げられているのにひとつもキャッチ出来ず、「愛がない、愛がない」と相手に不満と怒りばかりぶつけます。でも本当は目の前に溢れんばかりの愛が転がっているのに全部とりこぼしているとしたら・・何てもったいない事をしていると思いませんか?

そしてもうひとつのベクトルは自分対自分です。自分に向かって愛を発信し、それを受信するという自分対自分のキャッチボールです。
心理学では「自己受容」という言葉を使いますが、これは相当難しい問題です。
自分で自分に愛を与え、そしてそれを受け取る。それは一体どういう事なのでしょう?

最近、ACのTVCMで「これでいいのだ」という言葉を使って「自己受容」を謳っています。ギリギリまで追い込まれた若者があのCMを見たらそれは気付き、考えるきっかけになるかもしれません。まずは、知り、気付き、考える事です。それだけでも、「気」は動き、癒しが始まります。しかし、この人間関係に於けるエネルギーの無駄遣いを減らすには、無意識レベルにまで作用する癒しが必要です。

当院では愛の受容能力UPを促す香りをエッセンシャルオイルで調合してみました。これが予想以上の効果で、多くの反響を頂いております。この香りを嗅いだり、これをブレンドしたオイルでトリートメントするだけで、優しく穏やかな気持ちになり、恋人や周囲の人たちとの関係がとても良好になったという報告が少なくありません。
他者から愛されている事を実感できれば、それは自己受容へとつながります。周りから愛されている自分に「これでいいのだ」と言えるのです。
そして、それこそが治癒力UPへの最も近道になるのです!

オキノ
posted by ルーエ at 14:10| LOVE

2009年10月16日

愛と治癒力

治癒力は、真気を受け取る力、愛を受け取る力と密接な関係にある・・というお話しを始めたいと思います。
「愛」とはあまりに壮大なテーマですので、何回かに分けて書きたいと思います。

前回もお話したように、真気とは生きるために必要なエネルギーです。人は太陽の光や海、山、木々や花々、新鮮な食物など、自然の恵みから真気を取り入れています。真気という言葉を知らなくても、この自然のエネルギーを感じた事のない人はいないですよね。

一方、人間にとって最も難題であり、最も大切なのは「愛」です。
人は誰でも、生まれた瞬間から「愛」を必要とします。
そして「愛」ほど人を幸せにし、また狂わせるものもないですね。
そういう意味では良くも悪くもその威力は絶大です。
雄大な自然の中でいくら溢れる真気に包まれていても、他者からの愛を感じられなければ、人はちっとも幸せではありません。
更に言えば、現代人は「愛欠乏症」と言っても過言ではありません。常に満たされず、愛については常に腹ペコです。愛されている自信がないので自分に自信が持てません。

まず、心理カウンセリングでよくある親子の問題は、子供が親に受容されてない、愛されていないと訴えるケースです。実際はそこまで言わなくても、子供が親への不満を訴えるのは「もっと愛されたい」という欲求からです。
ここでは親に問題があるかどうかは別にして、親子間の愛というエネルギーについて考えたいと思います。まず、親子間に愛が存在しない訳はありません。100%愛のエネルギーが通っています。
ただ問題なのは、お互いに愛のキャッチボールが全くヘタクソだという事です。投げれば暴投、受ければエラーです。酷い場合はボールすら見えていません。ですから、相手に不満が募るばかりです。

これは、親子間だけのことではありません。夫婦間も恋人間も友達間も、また、自分と自分の間でも・・全くこれと同じ事をしています。

もうこんなエネルギーの無駄遣いをして消耗するだけのキャッチボールはやめなければなりません。


・・続く・・オキノ



posted by ルーエ at 23:59| LOVE