2010年04月01日

苦しい時の神頼み

普段宗教に全く関心がなくても、本当に困ったとき、苦しい時には「神様にお願い」してしまうのが人情ですよね。そしてその時「これまで不信心だった事をお許し下さい、これからはきちんと信心して供物も捧げます、だから神様願い、助けて下さい!」という具合に何か交換条件を設定してお願いしたりします。神様に改心した事や信心深さ、もしくは根性を示して「〜するから、〜してくれ」という訳です。人間社会のマナーと同じく、目上の人に頼み事をする時に手ぶらでは失礼ですものね。・・・って、ちょっと待って下さい。神様の愛は無償じゃないのexclamation&question

自然を崇拝するアニミズムに於いても祈祷師が神との媒介者となるシャーマニズムに於いても供物や生贄が必要ですし、私たちの遺伝子に染み込んだ神への畏怖や信仰心、帰依願望はとても自然なもので、供物やお賽銭も神様とコンタクトするためのコミュニケーションツールと言えるのかもしれません。

一方、神の存在を認めず、信仰を良しとしない思想があります。その代表は東洋の叡智「空」と「道」の思想です。では何故、仏陀も老子も神の存在を否定したのでしょうか?それはどうやら私達の信仰心に落とし穴がありそうです。私達は苦しみから逃れ、そして何かを希求すればするほど、「神様」に頼りたくなります。それは希求心、信仰心があるが故、心に生じる「隙間」なのかもしれません。その隙間を狙って「偽神」が、あなたに忍び寄ります・・・がく〜(落胆した顔)って脅かしじゃないですよ。
よく、「悪魔に魂を売る」なんて言い方をしますが、「偽神」は人間の欲望が大好物のようです。
仏陀も老子もそんな人間のジレンマを深く悟っていたのでしょう。

今週の日曜日4/4の哲学講座では再び「老子」の思想を取り上げ、神も信仰も必要としない「道」の潔い思想とその意味をより深く学びます。また、オカルト神秘主義や究極実体論と比較する事で「道」の真理に迫ります。「偽神」に騙されない、強い信念と柔軟な心を養うためのヒントがきっと見つかるはずです。
お申し込み、お問い合わせは
http://www.shinshin-therapy.com/koza.html#tetsugaku
・・オキノ・・





posted by ルーエ at 15:01| 心理・哲学